授業をつくるときに、あれもこれもいろんなことをしてしまいたくなってしまうのだが、考えてみると、教科書に書いてある内容をそのまま進めていくだけでいいのではないか
プリントを作って穴埋めをするときに、問題集と同じ抜き方でいいのではないか
PowerPointをつくるときにも、図は指導書から図を引っ張ってくればいいのではないか
こうやって書いてみると、去年の私なら「なんて手抜きなことをしているんだ!」と怒っていると思う
だけど、今年の私は違う
なぜなら、働き方改革を進めたいから
時間を有限であり、そのコントロールは私がしないといけない
授業準備に1時間かけても、3時間かけても私の自由だし、私が決めたこと
つまり、どのくらい寿命を削るのかは私が決めること

で、今までの私はひたすらにムダに命を削っていくことが大事と思っていたので、室の低い授業だと怒っていたのだ
質が高いとか低いとか、よくよく考えてみたら、生徒のアウトプットにはほとんど影響がないんですよね
だって、学力って生徒がどれだけ自分の時間、つまりは命を削って磨いたかだから
授業ってのは、教科書が同じなのだからそれほど差がないのです
それでいいのです
命をどれだけ削るかを自分で決めるってことで、授業づくりで命を削っても仕方がないということが私の結論です
この目で見てみると仕事の多くの部分は、もっとシンプルにしていけるなあと実感しています

校務分掌の仕事だって、去年のものをそのまま使えば立派なものができます
そこにあるのは、教員の飽きがあるだけの話
シンプルさの枠組みを作っていくことが出来たらOK
むしろ、このシンプルさの枠組みを作る技術が問われているというか、それこそが能力なのかなと思うんです
ブラック残業して自分の命を削る働き方をすることは、能力が低い証拠です
・・・そう私は能力が低かったんだと認識したところ
いかにシンプルにして、命を削らずに仕事を終えられるかに挑戦することこそが大事なことでしょう
このことをやっていないから、教員はブラック残業ばかりしているのです
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