人って合う・合わないってありますよね
教師をやっていると多くの生徒がいますから、合う・合わないってやっぱり多いですし、合う必要もないといえばない
だから気にしないことです
生徒にしたら合う教師がいれば救いになるわけで、合わない教師とはビジネス上の付き合いでってできればいい
とはいえ、進路指導では専門分野の関係があるのでそうはいっておられません
そんな中で、「この生徒は合わないな」と心底感じる生徒がいたのですが、どうしても長期間の進路指導をすることになりました
そもそも合わない理由としては、その生徒がこちらが言ったことをやらないのです
いったことと違うことをやるし、屁理屈ばかりこねるし、都合が悪くなると逃げる
そんな生徒だから正直関わりたくもないのですが、あのときの私は「この生徒の面倒を見るぞ!」ってなぜか改心して息巻いていました
まあ、生徒の方も最初のお願いにくるときには丁寧なもので、お前は何枚化けの皮を着ているんだというところですが・・・

指導の最初の頃はいいのですが、だんだん化けの皮がはがれるわけで、そうやってどんどん「嫌な奴」になっていくわけですね
その頃には「ああ、やっぱり嫌な奴だな・・・」と感じながら接するわけです
でまあ、その生徒が改心するようなこともあって、「頑張らないといけないな!」と私も改心して、やっていくわけですが、その改心も時間がたつとなくなっていって、
結局、その生徒は逃げたり、怠惰さを出したり、こちらの言うことに聞く耳を持たなくなったりと散々でした
合わない生徒って、価値判断のレベルで、こちらのNGラインをビシビシと攻めてくるんですよね
それってその生徒の生き様であって、どうしようもないレベルなんですよ
そんな生徒が改心してもそのときに演技をしているだけで、本質的には合わないし、受験の指導は優しいものじゃなく、生徒にとってしんどいからこそ地が出るわけですからね
そんなこんなで、後半は私の満足度は低下したまま、よくわからない関わりを続けて受験終了となりました
結果論かもしれないけれど、正直なところ、私はこの話を受ける前からこういうことになるのではと思っていました

思っていたけど、頼まれた熱意によって判断がぶれてしまったなと反省しています
嫌な生徒は嫌なままだったし、そのために労力をずいぶんかけたし、消化不良でもあったし、充実感よりも「教訓」になったなと思います
合わない生徒とはやっぱり合わないし、受験のように長期間関わるものに関しては、やっぱり携わるべきじゃなかったなと思います
短期のことならいいかもしれないけれど、合わない人とあえてやるべきではないと自分に言い聞かせて、受験の面倒を見るかどうかを決めたいなと思います
また、大きな教訓としては、生徒の自主性に任せるということです
生徒が来ないなら来ないで放置する、このくらいのことをしないと生徒に振り回されてしまうからです
いろいろと学ぶことがありますね



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