生徒に好かれようとする教師の生き方はだめ

若手と生徒に迎合する教師によくあるのは、「生徒に好かれようとする」働き方である
基準が「生徒に好かれるかどうか」である
これはだめ

1つ目の理由は、常に生徒の機嫌を伺うようになるから
年度始めは生徒はやる気があるから、教師に対してきちんと言うことを聞くので良好な関係を築けるときである
この関係性が壊れてくるのが生徒のやる気が低下していく5月くらいから

ここで大きな転機となるのは、「今までの良好な関係を崩したくない」と生徒に好かれている自分を捨てられなくなる
生徒のやる気がなくなってくれば、できないといけないことができなくなるので、普通は指導や注意をするのだが、生徒に嫌われるリスクが伴う
それを5月の段階で感じて、嫌われない方向にシフトすると、生徒はどんどん怠惰になって教師のいうことをますます聞かなくなる

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そのため、ますますご機嫌取りをしてしまう
そういう関係を築いてしまったら、確かに生徒には好かれるかもしれないが、生徒の怠惰さで学級はだめになるし、授業も頑張らなくなる
生徒に合わせることで、生徒がだめになるってこと

2つ目の理由は、自分らしく生きられなくなる点
教師には自分なりの哲学があり、やりたいことがあるはず
そのやりたいことが生徒と一致していないこともあり、半ば強引に合わせてもらう必要もある

そのときに、生徒の好かれたいと考えると、強く踏み出せないのである
しかも、生徒の好き嫌いなんて「刹那的な気分」であり、普遍的なものでは決してない
そんなあやふやなものにいちいち自分の判断を委ねることはあってはいけない

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生徒ほどいい加減な生き物はない
自分がやりたいことを生徒にぶつけて、生徒が順応してもらう方が得るものも多い
学校は教育の場であり、成長の場であるのだから、生徒は教師に合わせるべきである

最後に3つ目の理由は、人は全員から好かれることはないからである
私の基本的な思想は2:6:2である
つまり、2割に好かれ、6割はどっちつかず、2割には嫌われるということ

だから、そもそも全員から好かれることってないからねってこと
どんなに理想の教師だとしても2割には嫌われる、このくらいに捉えておかないと教師なんてやっておられない
好かれようが嫌われようが、必要なことをやるだけであって、それができないなら注意や指導をする、そういう関係なのですから

教師として魅力を発揮して、職責を果たしていくならば,大抵はまともな生徒には好かれるものですから、好かれようとすると逆説的に生徒をだめにして、生徒から「なめられる」ことになる
残念な結果を生み出すので注意が必要である

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