私は意図的に生徒に苦労させます
なぜなら、生徒が成長するからです
といっても、クラスの生徒全員に対してとかそんなことはあまりしません
担任として「勉強をしろよ」ということ言うけれど、こんな発言はポジショントークであって何の効果もない
なぜなら、生徒も「そもそも話を聞いていない」し、何の強制力もないから生徒は逃げていくだけのことで、私が生徒に頑張れと伝えたというノルマ達成のための言葉だからです
ここで「毎日ノートをします」とやれば負荷をかけることになります
私は特定の生徒に負荷をかけて苦労させます
この生徒たちは主にはクラブの生徒と、学級内の数少ない国公立大学を目指す生徒です
成長してほしいからであり、結局はそれが進路開拓になるとわかっているから

ですので、私が苦労させるのは、進路確保のためでもあるので、成長もするし、進路も開けるしと一石二鳥です
そこまで考えてやっています
うちの生徒たちは正直、苦労している生徒なんてほとんどいません
もちろん、テスト前にはテスト勉強しますが、中途半端で苦労というほどではありません
クラブは熱心にやっていると思いますが、それほど熱心に実はやっていないと思います
熱心にやっているふりが上手いだけで、自分の限界までやるということをほとんどの生徒はやっていないのが現実かなと考えています
全員がということは一切ないですが
担任になると「クラブが頑張れるのはすごいことだよ」っていいますけども、私の気持ちの中では「あれだけ長時間拘束されるブラックな環境によく耐えられているな」ということです
苦労した生徒は成長します
それが意図的に組めるかどうか
これが教員力であると私は考えています



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