学校において空気が読めないことは致命的である
空気が読めないことは、周囲の人間の気持ちがわからないということ
そんな人間と生活すると、まともな会話が成り立たないから付き合うとマイナスになることが多いから
私たち大人も同じ
コミュニケーションコストがかかることは負担でしかなくて、その負担をなくすくらいのメリットがないと付き合わない
コミュニケーションコストがかかったとしても、気が合うとか、下心があるなどすると別であるが、結局は損得の問題になって、「空気が読めない特性」もその人の評価になっている
空気がないに、性格が悪いとなるといじめる側に回る
そして、人の気持ちが理解できないから、ひどい言動をして、なぜいけないのかが理解しないから余計にたちが悪い
学校ではこうした飛び抜けた悪の存在があると、その取り巻きができて問題が大きくなりがちになる

空気が読めないに、正義感がある温和な性格は残念ながらいじめられやすい
正確にはよりますが、問題生徒たちが気にしているのは結局は「反撃の有無」のような気がします
ですから、性格が良い、気が弱い生徒には問題生徒は強気に出ます
また人間関係が希薄で孤立気味な生徒は、群れからはぐれている1頭みたいなものですから、問題生徒に攻撃されやすくなります
ということで、空気が読めず正義感があると、生徒たちは煙たがって離れていき、正義感から空気よめないまともな発言をしてしまい、問題生徒から攻撃されるようになりがちです
この正義感が問題なのは、どうしても譲れない心情なわけで、理不尽と戦うんだと使命感を燃やしてしまい、不毛な争いを起こしてしまうことです
こうした指導はさらに辛いものがあり、正義感をかざしてそうだけど、人間はだらけるものだから迷惑がかからないならそれは仕方ないですませないといけない
この理解をしてくれればいいのですが・・・
そうなかなかうまくはいかないしね
空気を読むことが必要かどうかは別としても、空気が読める力は社会では必要だなと思うんですね



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