進路指導の責任をどこまで考えるか

進路の結果が出るときに、合格していてほしいわけですが、現実はそう甘くない
国公立の受験の場合、指導にかかる時間を長くなるので、その部だけその生徒の合否にかける思いは厚くなる
もしも、不合格だったらどこまで教師に責任があるか、どう考えるかである

私の答えはシンプルで、

教師に責任は一切ない

生徒自身の力量不足である

となる
冷たいようだけど、試験を受けたのも、書類を作ったのも生徒の責任であり、そこにアドバイスをしただけであって、生徒が自分で決めたことであるので、こちらが責任を感じることは一切ない
だから、指導を始めるときには「合否の結果は自分で受け止める」というのは指導の大前提の約束であるし、「自分で判断して書類作成等はすること」である

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書類だけの一次審査で不合格であったとしても、その書類、例えば志望理由書の方向性を考えたのは基本は生徒であって、そこにアドバイスをしただけである
そもそも、「書ける材料が少ない」ことが根本的な問題であって、その少ない材料で整えた志望理由書は確かに指導教員の哲学が反映されているのも事実であるが、それを判断したのは生徒だし、少ない材料しかないのは生徒の責任である

教員がいくらよいアドバイスをしたとしても、材料を提供するのは生徒であり、その材料不足では根本的に戦えないことはある
また指導の過程で「もう少しこんな探究をしたらどう?」という話をしたとしても、生徒は面倒くさいとやらないこともある
が、それでも書類を完成するのであり、生徒はそのことを忘れている可能性もあり、「もっと探究していたら結果は変わったかもしれない」という話でもある

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総合型選抜、学校推薦型選抜に関しては、合否の基準が正直わからない部分もあり、そのだからこそ圧倒的に合格できる位の用意をするべきであって、その用意ができていない状態では合否はわからないから、とりあえず受けてみるしかない
そういうわけなので、合否なんてわからないし、生徒の積み重ねが結果になるわけだから、教師は責任を感じる必要はない

とはいえ、応援している生徒が不合格になるとがっくりくるものがあるのは事実である

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