失敗にきづけるかどうかって実はちょっと高度なんですよね
教科書の内容を教えて、生徒が大人しかったら「授業が成功」と考える教師はたくさんいます
生徒がどういう状態であるかを全く気にしていないから、成功と考える分けです
失敗に気づくためには尺度が必要で、その尺度の持ち方で教師の成長が変わってくる
最近の若手教師はこの尺度が甘い
若手教師Dは、生徒が生意気な言動を取ることがあり、そのときに「これはまずい」と感じるべきときにまずさを感じない
それゆえに、生徒の発言を放置してしまう
この積み重ねが学級をだめにしてしまうことがわからない

時間を守ることについても同じで、チャイムが鳴る前に座るべきだが、それをDは全く気にしない
理由を聞いたことがあるのだが「ああ、そういうもんですか」と、時間を守ることの大事さがわかっていない
時間を生徒に守らせなかったらどうなるか想像ができていない
チャイムが鳴ったら座るならいいかもしれないが、チャイムは30秒あり、「鳴り終わるまでならセーフ」となっていき、鳴り終わったときに教室に入ればOKになり、しまいには、平気で遅れてくるようになる
ここまでのことにはさすがにならないが、チャイムを守らない生徒たちは自分のわがままを押し通そうとするようになる
このつながりがDにはわかっていない
眼の前の減少の良し悪しもわからず、先のことも考えられない
だから失敗する
結局、何が失敗なのか尺度がないと何もわからない
そして、若手は「自分基準」で考えるからいけない
必要なのは「教師基準」だから
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