不思議なもので人って雰囲気がありますよね
見るだけで性格が良さそうとか、悪そうとかわかってしまう
普段使う顔の表情金などで人相が変わっていて、それを私達は敏感に読み取れてしまうんでしょうね
舐められるかどうかって、大きな部分は「どこまで反撃されるか」だと思うんですね
あなたの周りを考えてみてください
あなたから見て舐めてはいけない教師って、反撃が怖い気がしませんか?
それは肉体的な暴力だけではなく、権力があるとか、なにかするとすぐにキレそうとか、常識がなさすぎて何をされるかわからないとか、無視するとか仕事上影響がありそうな反撃をしそうとか、そういう類のものです
こうした得体のしれない不確定要素のものが、怖さであって、怖い人ってのは舐められにくいと思います

あなたが生徒から舐められているなら、そういう不確定要素がなさすぎて、生徒の想像通りであり、生徒にとってあなたを怒らせても困らないという確証があるからです
優しい先生は舐められやすいというのは、怒っても大したことがないと思われているから
そういう部分です
じゃあ、舐められない教師のほうがいいかというと、どうでしょうか?
あなたの考えは?
・・・
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・・・

舐められるかどうかの軸よりも大事なのは、生徒との人間関係であって、実はどちらでもいいと思うんですよね
もちろん、舐められないに越したことはないけど、そんなことよりも人間関係がきちんと築けたら生徒から慕われるのでどうでもいいことになる
つまり、舐められるという軸よりは、生徒との人間関係をどうやって築くかのほうが大事である
ここにきづけるかどうかだと思うのです
舐める・舐められるというの世界観は、生活に緊張を与えるように思います
緊張がある生活はリラックスできず楽しくない、一段低い生活ですよ
つまり、そういった次元でしか考えられない職場の雰囲気はまずいし、構成員の考え方に問題があると言わざるを得ない
方向性が間違っています
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