採用されて初めて所属したのは1年生の学年団で副担任でした
だいたい1年生って学年団をリセットするタイミングであり、転勤組を入れ込むなどする
学年主任は転勤していた中堅教師がなり、担任団は3年生を卒業させた教師と転勤教師で構成した感じ
その中には顧問Aもいて、若手のことはばかにする一方で、学年主任Bに対してはご機嫌を取るような態度
後でわかるのですが、この学年主任Bは地雷教師で、授業もクラブも主任も担任もいい加減な人間でした
とはいえ、副担任だったのでそこまで影響があるわけでもありませんでした
私が驚いたのは主任Bが毎月のように学年団の飲み会を設定するんですね
「若手に拒否権はない」これが職員室の流行語でした

この飲み会がまあ、ひどい、といっても当時は普通でした
予約された店で飲み食いする。これで4000円は飛ぶ
ここから二次会に行く。ここでも4000円は飛ぶ
この段階で終電はなくなります
その後、三次会に行く。3000円くらいは飛ぶ
締めのラーメンを食べて1000円飛ぶ
午前3時です
帰るにはタクシーを使うと4000円飛ぶ
この日だけで16000円くらい使うんです

これが毎月
飲み会もほとんど飲めない私には苦痛以外何者でもなく,話す内容も説教臭いことが多いし、やはり年齢が離れているから感覚,価値観が合わないんですよね
同期に話すと中には「そうやって先輩の話が聞けるのは価値がある」的なことを言う人もいました
顧問Aと同じ学年をやっていた学級経営が下手なCなどは、飲み会を楽しんでいるようで、飲んでは騒いでいました
ある種、この学年の古株であり中心メンバーのような原動力のようなコンビで、飲まないとやってられないとのこと
飲まないとやってられないって、、、普段どんだけストレスを溜め込んでいるのか不思議で仕方なかった
お前らの飲み会に付き合うほうがよっぽどストレスだわと思ったものです
飲み会もほぼ強制参加、これもパワハラですけど、当時は許されていたし「仲の良い学年だね」なんて言われることもありました
こんな感じで先輩教師に恵まれず、1年目は本当にしんどく仕方がなかったですが、当時はこれが普通で通っていたのです
今ではありえないですが、当時は教師は倍率も高く人気職だったんですよ
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