私は口が悪い人間です
だからと言って相手のことをバカにしているわけではなくて、単純に事実としていっているだけです
生徒がバカなことをしたらバカなことをしたと言ってしまいます
生徒にではないですが
学力がない生徒のことを職員室では頭が悪いと言います
事実だからです
私は事実をスタートラインにしてその生徒にどのような教育を施すべきかを考えるというのが、私のやり方です
こんな私のことを口が悪いと非難する人がいます
その人が言うには世の中にはバカな人はいない、生徒のことを馬鹿にする教師がおかしい、生徒には無限の可能性がある、頭が悪い生徒はいないと怒ってくるのです
私はどの現実を見ていっているのか不思議で仕方ありません

私がすごく嫌いな言葉に「子供には無限の可能性がある」があります
無責任な言葉ですよね
どれだけ頑張っても自分に向いてないものはできません
就職活動をする時には常に適性を考えて適切な部署に配置されるべきだと、学生も企業も考えているはずです
いつの間に無限の可能性は消えてしまったのでしょうか
私は綺麗事を言う教員に対して、いつ無限の可能性が消えるのか聞きたいです
無限というのは賞味期限がいつなんでしょうか

そもそも中学校で進路を考える時に、自分の適性を考えようという言葉を言うはずです
これは裏を返せば無限の否定しているわけで、無限を考えているのであればあなたはどこに行っても成功するよ、と言わなければいけないはずです
こうした矛盾に気づいていないのでしょうね
私はこういう教員を綺麗事ばっかり言う教員だと思っています
そして綺麗ごと教師は言論統制をし始めるのです
つまり現実を現実と考えずに机上の空論で物事を進めようとします
立派な教育をしようと思っても、生徒の学力意欲がついてこなければ絶対にできないのです
その意欲が生徒にないのだからこのやり方はまずいよ、と言ったとしても意欲をそもそも出させないお前が悪いと言ってきます

だったらお前がやってみろよと言ってもその人はやりません
できないからです
その人ができるのは机上の空論を言って、周囲がおかしいと非難することだけです
なぜなら周囲が理想的でないからです
基本的に現実が全く見えていません
それは管理職になればなるほどその傾向が強くなるように思います
つまり現場感覚がなくなっていくということです
この現場感覚がなくなることが教師としては致命的
私たち教員も自分が思ったことを自由に話せないとなると、その人がいるだけで息苦しくなってしまって職場環境が悪化してしまいます
ただ私のように口が悪い人間がいいかどうかも考えものではあります
ただ私の長所で言えば、常に前を見てよりよくしようと話をしているので、その辺はきちんと理解をしてもらえるはずです
なぜ理解をしないかというと,バカという表現に引っかかって内容を見ようとしないからです
やはり現実ありき、現実の生徒ありきで物事を考えて欲しいと思います
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