私のことを頭が良いとか、鋭いとかと言う一方で、きついとか、ダメ出しをするとか、言われることもあります
仕事ができるという評価をいただいているので良いですが
仕事ができるかどうかというのは、「解像度」が大事になってきます
今回のテーマになってくるのですが、例えば生徒指導について「君はいけないことをしたから反省しなさい」といったとすると、大雑把すぎるのです
その生徒の言葉が行けないのか、態度がいけないのか、言葉ならどの部分がいけないのかをはっきりさせることができなければ、有効な生徒指導とはならない
生徒が納得しないときには「何」を説明しないといけないから
となると、厳密に定義する習慣が必要となり、労力がかかります
この労力をかけないまま年を取るとなんとなくのことしかできなくなり、生徒が納得しない生徒指導をするようになってしまうし、結局、細部が大事であるので細部を考えられなくなる

校務分掌の長のように「曖昧」にしておけば確かに「その範囲」にはあるが、ピンポイントではないので、確かに間違っていないのかも知れない
しかし、曖昧な範囲ということは、人によって間違った部分にフォーカスする可能性があり、他の人を巻き込むときには有効な方法ではない
食い違いをなくすために私はピンポイントに定義をしたい
仕事ができると私が言われるのは、このピンポイントを定義できるから
授業の目標も生徒指導も公務分掌もすべてである
しかし弊害もある
長のように、曖昧にしか考えられない人にとって「はっきり定義して」と言われると地獄なのである
長からすると「5センチ角」が最大のピンポイントであるのに「1ミリ」を私は求めているから
どうやっても話が通じないのである

こうして解像度が低い人たちは私と話をすると「1ミリ」を求められるので困るのである
こうやって定義をこだわると話が進まないと感じる人にとっては私は厄介な存在になり、ピンポイントをもとめるから「きつい」となるけど、結局、きちんと決めるから物事がはっきりして、仕事がしやすくなる
ですので、私の仕事の第一歩は定義をきちんとするところから始まり、それができない人がプロジェクトにいると翻訳作業からすることになる
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