行動する前にはぐっとこらえて、我慢してから、行動するのが、学校界では美徳のようだ

これは私に当てはまるだけのことかも知れませんが、私は思いついたことをすぐに言ってしまったり、してしまったりします
大人の発達障害という言葉を聞きますが、私の多動的な側面はきっとこれです
ですので、余計なことを言ったりしたりします

その反面で、校務分掌,生徒指導などでは思いつきではありますが、きちんとした論理立てをその瞬間に行って説得力ある言葉を出すこともできるので、強みでもあります

今考えているのは、強みを活かしたいけれど、そもそもその強みを活かしきれない周囲の状況があるということで、失点をしないほうがいいかも知れないということ
いろいろとアイデアを出すことは本来いいことですが、相手がそのアイデアを活かしきれないときには、「負担」になるのです
すぐ考えて判断すればいいのに、すぐ考えて判断できないから負担になる

A close up of a row of different colored trays

私は仕事のためにやっていますが負担になる、残念な現実です
ですので、私はアイデアを出さない、他の人の意見をより良いものしようとせずに、肯定してあげることが必要な立ち位置になっているようです
年を取るとこういうことになります

ばりばりと働けないというのは残念なことです
もっといいこと、もっと楽しいこと、もっと楽になることが私は提案できる
1日非効率に練習をすることが美徳とする野球部に、効率の良い練習を考えて半日で終わるようにしたらいいのではというようなものです

本人はそれがいいと思っているから、余計なお世話はなんです
生徒たちは「無駄」「長い」と感じていますがね

A subway station with people waiting for the train

まあ、そんなこんなでタイトルの通り、思ったことを言うのではなく、ぐっとこらえて、我慢して、言わないことを決意するようにするのが学校では美徳ということ
学校は効率性を求めるのではなく、各担当に任せて非効率でブラックな勤務をするための場所なんですよね
こうやって苦しめて、人を病休に追い込む場所ですから

この定義に従ってやらないといけない
なんだかなと思います
どこかのタイミングで学校も変わっていくのだろうか

働き方に落とし所を見つけつつ、やっていくしかないだろうけどね

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