子どもには無限の可能性があるを私は否定しますと書きました

「子どもには無限の可能性がある」といういい加減な言葉
よく教師は「子どもには無限の可能性がある」と言いますが、私はこの言葉が嫌い何をいい加減なことを言っているのか?って思います100mを8秒台で走れる?垂直跳びで5m跳べる?中学校で1か2しか取れない生徒が東大合格できる?何が嫌って『現実を見て...
遺伝子で能力が決められている以上、その適性をきちんと保護者が見抜く努力をするべきです
勉強が得意なのか、興味はどこにあるのか、身体能力はどうか
子どもと向き合うことが必要

学校教育では・・・といっても中学校では勉強をさせることしかないかな
適性を考えることをもっと授業に入ってもいいと思います
高校では最近はプログラミングが大学でやりたいということで、情報学部を目指す生徒がいる
その生徒に「だったら、基本的なプログラミングをまずはやってみたら? やったことないでしょ?」というと、「大学に入ってからやるから、今は別にいい」というわけです
適性を考えるべきでしょう
こういう生徒はプログラミングをやらせてみると「思ったのと違った」と適性が全くないことがほとんどです
適性を考えることをせずに、無限の可能性を信じているからです
そして、馬鹿な親はそんなことを考えずに「子どものやりたいことをさせます」と盲目的に信じている

保護者も苦労しているのはわかります
どれだけいっても勉強はせずに遊び呆けている子どもが「情報学部に行きたい」というのだから、困り事が一気に解決したような気になります
とはいえ、適性を考えていないから、中退する生徒もそこそこいます
適性をきちんと考えさせる、体験させるということを重視していかないと、今の風潮は打破できないように思います
ただ可能性を吹き飛ばせるのは、学力がある場合です
学力があればある程度のことは可能だからです
だから、今何もせずに、総合型選抜や推薦型で私立大学に決めるような生徒は、学力もなく適正も考えておらずで危険なのです
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