親は子どもができないことを認められない

教師の大きな武器は「たくさんの同世代の子どもを比較できる」ことです
よくわからない表現かもしれませんが、保護者は数人程度でしょう
これが何を意味するかと言うと、教師は正規分布で生徒を見られ(相対評価)、保護者は1人の特殊なケースでしか生徒を見られない(絶対評価)ということです

つまり、教師と保護者では見える範囲が全然違います
ゆえに教師と保護者では意見の相違があり、教師の話を保護者は受け入れることができない自体や保護者から特殊ケースというか特別扱いを求められます

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中学校でよくあるのが、生徒が学習障害などで低学力、情緒に問題を抱えている、自閉的傾向などがあるケースです
表現が良くないかもしれませんが、正規分布から考えると要特別支援なケースであります
保護者は自分の子ども1人ゆえに、自分の子どもがかわいい、現状を認められないために「私の子どもは普通です」として、何も対応しようとしません

子どもが学校で暴れたら学校が悪いといい、家ではいい子であるといいます
よくよく聞いてみると、家で変なことをすると父親などが暴力的に対応していて、おとなしいというケースは多い
そのストレスが学校で出ているとも言えます

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まあ,そんなこんなで、見えている世界が違うので教師が「お子さんはできていませんよ」という相対的に見たときの言葉にたいして、「うちの子をけなしている」と捉えてしまうわけです
現状が見えないから有効な手が打てず、何もしないこと選択して、行ける高校にいって、そこで学力を伸びるわけもなく、なんとなく成長だけしてしまう

これが悪いとは言いませんが、もっとやりようはあるとは思います
けど、保護者が認められないのは、自分の子どもが平均より劣っていることがまず受け止められないからです
学力以外の側面やある1つの領域での勝負など、いろんな可能性はありますから、そういったものの見方ができると良いわけですが・・・

という感じです

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